第49回:英雄以外も活躍! 『楊家将』『水滸伝』から見える北宋時代

文:中国エトセトラ編集部

”楊無敵”と称される楊業。北宋に貢献してきた名将も年には勝てず、息子たちに未来を託す(映画『楊家将~』より)。

映画『楊家将~』では長男・楊延平をはじめ楊業の7人の息子が、父の窮地を救うため、獅子奮迅の活躍を見せる。

『水滸伝』では魯智深らと二竜山の統領になる楊志。『楊家将~』とセットで観ると歴史的視点が広がるだろう。

芸術を見る目に秀でた徽宗も、政治は奸臣に翻弄され、人を見る目は持ちえなかったしようだ(『水滸伝』より)。

 昨年夏から日本で順次発売されていた中国のTVドラマ『水滸伝』DVDが、今月初旬発売分でついにリリースを完結。14日からは、豪華華流スターたちが出演する映画『楊家将〜烈士七兄弟の伝説〜』(以下『楊家将』)が公開予定。圧巻のスケールで描くスペクタクル大作であるこの2作品の舞台は、どちらも宋(北宋)の時代。ここでは、その物語や登場人物を史実と照らし合わせ、北宋がどんな時代だったのかにせまります。

お酒がからんだ宋の建国

 唐滅亡後に群雄割拠した五代十国時代を経て、それらを統一するべく960年に建国されたのが宋です。その経緯では、皇帝が、血縁者でない有徳者に自分の地位を譲る"禅譲"が行われました。統一目前で皇帝が病死、7歳の遺児・柴宋訓が後を継いだときです。幼帝に不安を抱いた軍人たちが、酔いつぶれていた近衛軍長官・趙匡胤に黄袍(皇帝用の黄色い衣)を着せて強引に皇帝に擁立(!!)。これが禅譲となり、趙匡胤は初代皇帝・太祖となりました。
 中国でしばしば登場する禅譲では、後の仕返しを恐れて元皇帝を殺すことが多いですが、太祖は、柴氏一族の保護を子々孫々に渡って厳守させる遺言を残します。その柴氏末裔として『水滸伝』に登場するのが柴進。彼の広大な邸宅が、皇帝からの丹書鉄券(お墨付き)により、治外法権を認められていたのは劇中でも登場するとおり。柴進が田舎でお尋ね者や無頼漢を養いながら悠々自適に暮らせていたのは、太祖の深酒と平和的な禅譲のおかげだと言えるかもしれません。

楊家将の末裔が梁山泊に!?

 北宋初期の忠臣として登場する『楊家将』の楊業は、実は、宋の敵国だった五代十国・北漢の出身。猛将だった彼は、宋が北漢を攻めたときに太祖らをさんざん苦戦させた後降伏。そのため、後に宋のために活躍するにもかかわらず、味方にも恨みを持たれ、常に寝返りを疑われている状態でした。明らかに不利な戦線の下、あえて出兵し全軍壊滅、息子たちも次々散っていく悲劇となったのは、そんな軋轢のため。
 それでも、忠義のため命を投げ出し戦った楊業と七兄弟の英雄伝説は「楊家将演義」として、中国全土で敬愛され、語り継がれています。
 楊家の子孫としては、七兄弟の生き残り・楊延昭の息子が北宋中期の名将として知られているほか、実は『水滸伝』の楊志もそのひとり。彼が"エリート"と呼ばれ、なかなか山賊に下りきれなかったのは、名門・楊家出身だったからなんですね。

宋×遼のバトル

 宋は、軍事的に弱体で、『楊家将』の適役として登場する北方の国・遼からの攻撃に長年苦しめられます。遼は、現在の内モンゴルを中心に、遊牧系民の契丹族が構えた王朝。辮髪や耳飾りなど、独特の文化風俗を持つ契丹族ですが、今回の映画での遼軍は、騎馬民族の強さと荒々しさを表すかのようなドクロマーク付きのパンクな衣装でヒールを演じています。

商売なんでもOK! でにぎわう都市

 その後、3代皇帝の時代に遼と和平を結び、平和が確保されると、北宋の商工業は発達し、経済が大発展。首都の開封(河南省)は空前の繁栄を迎え、世界最大級の都市となります。
 唐代にあった商いの登録や区画、門限などの厳しい決まりが、宋代はなんと全部フリーに! 『水滸伝』でおなじみの、にぎやかな街の風景はその賜物。通りには屋台が立ち並び大道芸や講談などが行われ、飲食店では多くの人が昼夜酒や茶を飲んでいました。燕青が通じていたという歌舞曲や演劇などの庶民文化も花開き、皇帝の徽宗が李師師に会う妓女付き高級料亭などの娯楽も栄えていました。

北宋→南宋へ。徽宗の転落人生

『水滸伝』の時代を治めた第8代皇帝・徽宗は、芸術の才能に秀でており、絵画などで功績を残したアート系皇帝でした。しかし、政治手腕のほうはまるきりだめで、『水滸伝』の悪役として登場する蔡京や童貫らの奸臣に朝廷を牛耳られてしまいます。徽宗の芸術活動資金のため国民に重税が課され、その悪政により方臘の乱などの民衆反乱が続発、国力が弱まります。後年、満州地方で台頭した新興国・金に攻められ、首都・開封は陥落。徽宗は皇族、官僚と共に金に連行され、悲惨な虜囚生活の中死亡、異郷の地に骨を埋めることに。しかも、皇后以下王室の皇女全員は、金の皇帝・皇族の妾、もしくは娼婦にさせられたといいます。その後、難を逃れた徽宗の九男が首都を江南の臨安(現在の杭州)に定め、華北部を失った南宋の時代が始まることになるのです。

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映画『楊家将』公式サイト http://www.u-picc.com/yokasho/
ドラマ『水滸伝』公式サイト http://suikoden-jp.com/