第44回:映画『運命の子』の原典、中国で愛され続ける「趙氏孤児」とは?
文:中国エトセトラ編集部この世に生を受けた直後に、一族たったひとりの生き残りとなった趙氏孤児、後の趙武。まさに“運命の子“である
産まれたばかりの子の身を案じながらも、殺された夫・趙朔を追って自害する荘姫。その悲劇に。涙せずにはいられない
『運命の子』では、趙氏孤児を殺し損ね、屠岸賈に顔を切りつけられる韓厥。彼も自らの復讐も、運命の子へ託すことに
成長した孤児は、一族の復讐という運命を背負い、屠岸賈と対峙する…。映画ではよりドラマチックな脚色がなされている
陳凱歌(チェン・カイコー)監督が『花の生涯~梅蘭芳』以来、二年ぶりにメガホンをとった『運命の子』。日本では年末にリニューアルした東京、渋谷のBunkamuraル・シネマにて、その他、札幌、名古屋、大阪、福岡でもミニシアター系映画館で公開が始まった。
この映画の原典とも言える物語「趙氏孤児」は、中国では有名な物語で、春秋戦国時代の晋で実際に起きた事件が元ネタとなっている。古くは、孔子が編纂したと言われる『春秋左氏伝』に記されているが、司馬遷の『史記 趙世家』のほうが物語的な完成度は高い。『史記』にしたがって、事件の流れを追ってみよう。
春秋時代の悲劇が、すべての始まり
紀元前7世紀の終わり頃、暴虐君主として知られる晋の霊公が臣下によって殺され、その弟が即位した。晋の成公である。霊公の寵臣だった司寇(法務大臣)の屠岸賈(とがんこ)は、この事件を政敵の粛正に利用しようと謀をめぐらす。晋の有力な臣下である趙氏に霊公殺害の疑いをかけ、その一族を滅ぼそうとしたのだ。先代の国政だった重臣の趙盾(ちょうじゅん)は、かつて霊公に殺されそうになり、国境近くまで逃亡したことがあった。霊公はこの間に、趙盾の一族の者に殺害されたのだが、晋の史官は趙盾の責任を重く見て、「趙盾が君を弑した」と歴史書に記録していた。屠岸賈はこれを利用して、趙盾が霊公を殺したと強弁したのである。 晋の重臣である韓厥(かんけつ)は、国境に逃亡していたという趙盾のアリバイを主張したが、趙氏抹殺をはかる屠岸賈の前では、どんな真実も無意味だった。趙盾の子で、趙氏の当主でもある趙朔(ちょうさく)は、韓厥から「早く逃げよ」と言われるが、、何故か忠告を拒む。趙朔の妻は、成公の姉だ。趙朔は、君主が屠岸賈の暴走を止めることに期待をかけていたのだろうか。だが屠岸賈は、成公の許しを得ることなく、諸将を率いて趙氏の家を包囲し、ついに趙朔をはじめとして、その一族を皆殺しにした。このとき、なんと趙朔の妻は身ごもっていた。夫人は実家である晋公の屋敷に逃げ込み、やがて男子を出産する。これを聞きつけた屠岸賈は宮廷中を捜索し、子供を殺そうとした。君主の意向を無視して重臣を殺戮するような男だ。奥御殿の家捜しなど朝飯前である。必死の夫人は、袴の中に子供を隠し、「趙氏が滅びるならば泣くがよい、そうでないならば、泣くでないぞ!」と天に祈る。その祈りのかいあってか、屠岸賈は赤子を見つけることができず、趙氏ただ一人の生き残りは、趙朔の友人・程嬰(ていえい)へ託された。この子が、映画のタイトルでもある「運命の子」=趙氏孤児というわけだ。ちなみに、『春秋左氏伝』ではこの趙朔の妻は、趙朔の兄弟と不倫の関係にあり、屠岸賈を利用して趙氏を滅ぼさせた稀代の悪女とされている。
程嬰と趙朔の食客だった公孫杵臼(こうそんしょきゅう)は、子供を救うため捨て身の一計を案じた。公孫杵臼が身代わりの子供を背負って逃げる間、程嬰が恐れながらと訴え出て、「自分は趙朔の子をあずかったが、趙氏再興など、とても手に負えない。千金をもらえるなら、誰にでも子供の居場所を話す」と言ったのである。屠岸賈は程嬰を連れて公孫杵臼の後を追い、ついに山へと追い詰めた。公孫杵臼は、最初は子供の命乞いをし、それが叶わぬと知ると、程嬰を裏切り者と激しく罵倒し、赤子とともに殺された。こうして、趙氏孤児の生存を知る者は、程嬰のみとなったのである。
仇討ちと友情の故事は、庶民に親しまれる物語へ
15年の歳月が流れ、晋の君主は成公から景公へと交代したが、景公は健康がすぐれなかった。大臣の韓厥はすでに年老いていたが、程嬰からの知らせで趙氏の子が生きていることを知っていた。そして、「君の健康がすぐれないのは、先代が趙氏を滅ぼした祟りでありましょう」と言上したのである。景公はすぐに韓厥に命じて、趙氏の子を召し出した。韓厥は君命が下った勢いを駆って、趙氏を滅ぼした屠岸賈の罪を問い、屠岸賈の家を滅ぼしたのである。こうして、山に隠れ住んでいた趙氏の子=趙武は家を再興し、やがて成人すると晋の国政に参加して名臣として名を残すのである。 ところで、趙武を育てあげた程嬰はどうなったのだろうか。趙武が成人し、冠を頂いた日のこと、程嬰は趙武に申し出た。「私の役目は終わった。公孫杵臼に約束を果たしたことを告げたい」。泣いて引きとどめる趙武を後にし、程嬰は趙氏の屋敷を去った。そして自害したと言われている。仇討ちと男の友情をテーマとするこの物語は、いつのまにか歴史書の枠を抜け出し、庶民に愛されるようになった。そして、元の時代の戯曲作家紀君祥によって脚色され、あらゆるジャンルの芝居で演じられるようになったのである。そこでは、人間関係がより劇的に構成され、趙朔の妻・荘姫(そうき)は、子供を程嬰に託した後、夫を追って自害する。また、公孫杵臼が趙氏孤児の身代わりに背負うのは、生まれたばかりの程嬰の子供だ。
「趙氏孤児」の人気は、中国のみにとどまらず、外国の演劇にも大きな影響を与えた。18世紀のフランスの小説家ボルテールの『中国の孤児』もその一つである。また、歌舞伎の演目『菅原伝授手習鏡』や『伽羅先代萩』に盛り込まれた、友情や忠義のために自分の子供を身代わりにするシーンにも趙氏孤児の影響を見ることができるだろう。
21世紀によみがえった新たな『趙氏孤児』で、陳凱歌はどのような翻案を見せるのか? それも鑑賞の楽しみと言えるだろう。
映画『運命の子』公式サイト
http://www.unmeinoko.jp/
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