第31回:見応えバッチリ! 「三国志」オススメの合戦を大特集!!(其之一)
文:中国エトセトラ編集部ドラマ「三国志」では“赤壁の戦い”をはじめ、数々の戦いが描かれる
関羽、張飛、趙雲といった人気武将も続々登場
大軍勢が入り乱れて展開する合戦シーンは圧巻!
“乱世の奸雄”曹操の生きざまも忠実に再現
呂布と貂蝉のロマンスもバッチリ描かれる
天才軍師・諸葛亮の活躍にも期待が高まる
いよいよ第1部のレンタルが開始した中華歴史ドラマ列伝「三国志」。11月10日(水)には第2部が、26日(金)には第3部が続々とリリースされる本作だが、どのポイントに注目して観るかは、人によってさまざま。今回は、そんな数ある見どころの中から、名勝負が繰り広げられた"合戦"にクローズアップしてご紹介したいと思います。
汜水関の戦い(190年)
朝廷の混乱に乗じて、都・洛陽を乗っ取った董卓は、皇帝をすげ替え、宮女に暴行、民を虐殺するなど、暴虐のかぎりを尽くしていた。190年、董卓討伐の檄文(実は偽物!)に応じて、袁紹をはじめとする諸侯が挙兵。こうして反董卓連合軍が結成され、董卓軍との戦いが始まった。そこには、未だ弱小勢力だった曹操や、無名の劉備たち三兄弟も参加していた。洛陽に迫る連合軍の前に、汜水関を守る猛将・華雄(かゆう)が立ちはだかる。華雄は連合軍の豪傑たちを片っ端からなぎ倒してゆき、大将の袁紹を悔しがらせた。そんななか、一騎打ちの名乗りを挙げたのが関羽だ。袁紹は身分の低い関羽を信用せず、退けようとするものの、曹操の助言を受け、渋々これを承諾する。関羽は燗酒を勧められるが、これに手をつけずに出撃。青竜偃月刀の一撃で華雄を討ち取り、あっという間に陣に戻ってきた。関羽が杯を手にとると、酒は温かいままだったという。
関羽の公式デビュー戦ともいえる汜水関の戦いだが、実は「三国志演義」(以下、演義)の完全な創作。正史「三国志」(以下、正史)では孫策、孫権の父・孫堅が董卓軍に猛攻を加えている。なお、連合軍VS董卓の合戦では、虎牢関の戦いも有名。こちらでは劉備、関羽、張飛の三兄弟を相手に、呂布が八面六臂の豪勇ぶりを発揮するが、これもまた演義の創作である。
官渡の戦い(200年)
董卓亡きあと、後漢朝廷は完全に統治機能を失い、群雄割拠の乱世がおとずれる。激戦ののち、最後に中原の覇権をかけてにらみ合ったのは、曹操と袁紹の二大勢力だった。黄河以北に強大な兵力を有する袁紹と、献帝を保護し朝廷を後ろ盾にする曹操は、200年に官渡で対峙した。緒戦の白馬・延津での合戦では、機動力を駆使する曹操軍が優勢に立ったが、圧倒的な物量をほこる袁紹は戦いを持久戦に持ち込み、じりじりと曹操を圧迫する。汝南では、袁紹の客将だった劉備がゲリラよろしく出没し、都・許昌の背後をかく乱した。1年にも及ぶ対陣にさすがの曹操も弱気になり、許昌の留守を預かる参謀・荀彧(じゅんいく)に「退却しようと思う」といった、普段のイメージからは想像しにくい内容の手紙を送っている。しかし土壇場で、曹操は袁紹軍の補給基地が烏巣にあるとの情報をつかみ、自ら5千の騎馬隊を指揮してこれを急襲、袁紹の兵糧を焼き払うことに成功する。持久戦の続けられなくなった袁紹は、黄河の北へと敗走し、ほどなく病死してしまう。こうして北中国の覇者となった曹操は、全国統一を目指し、江東の孫権討伐へと乗り出すのであった。
1年も続いたこの戦いで、大いに腕をふるったのは両軍の幕僚たち。なかでも曹操軍に寝返り、烏巣の情報をもらした袁紹の参謀・許攸(きょゆう)の功績は大きい。また君主でありながら、自ら機動部隊を率いた曹操自身の活躍も目立つ。ちなみに演義では、曹操の客将となっていた関羽が、袁紹軍の大将・顔良(がんりょう)と文醜(ぶんしゅう)を斬る大活躍を見せている。
赤壁の戦い(208年)
官渡の戦いの後、曹操は袁紹の残党を一掃して河南・河北を完全に支配した。そして、208年7月、天下統一のために南征の軍を引き連れ、荊州へと攻め下る。赤壁の戦いの前哨戦ともいえる戦いはこうして始まった。かねてから曹操と対立していた劉備は、荊州を統治する劉表の世話になっていたが、劉表の死後は同地で孤立状態にあった。「曹操軍侵攻」の知らせを受けた劉備は、軍勢を率いて荊州を脱出し、一路南を目指した。一方、荊州の降伏を受け入れた曹操は、その軍勢を呑み込んでさらに南下を続け、長江沿いに水陸の陣を敷いた。夏口へとたどり着いた劉備は、ここで孫権の幕僚である魯粛(ろしゅく)と面会し、孫権軍に合流する。
江東は中原の騒乱から遠く離れ、孫堅、孫策、孫権と3代にわたる安定した支配が続いていた。曹操から降伏の勧告を受け、若き君主・孫権は悩むが、水軍を率いる周瑜と魯粛の勧めに従い、開戦を決意した。両軍は長江をはさんで3ヶ月あまり対峙。12月、周瑜の部下・黄蓋(こうがい)が降伏すると偽って曹操の船団に接近し、近距離からの火攻めを仕掛けて大損害を与える。また陣中では疫病も流行し、曹操は撤退を余儀なくされた。ここに、曹操が天下統一を成し遂げる可能性は失われ、中国は三国鼎立に向かって動き始めるのだった。
この合戦の正史での立て役者は、何といっても江東水軍を指揮した周瑜、そして火攻めを決行した黄蓋だろう。演義では、周瑜と劉備の軍師・諸葛亮が頭脳戦をくり広げ、ドラマの緊張感を盛り上げている。ちなみに、三国志後半で劉備陣営に合流する龐統(ほうとう)の初登場も、この赤壁の戦いである。
今回は「レッドクリフ」で描かれた"赤壁の戦い"までの、主だった戦いをピックアップしましたが、ドラマシリーズではこの他にも、まだまだ数多くの"合戦"が登場します。次回は"赤壁~"以降の大規模な戦いをご紹介する予定なので、こちらもご期待ください。