第25回:君主を支えた賢女から国を乱した悪女まで、個性的な古代中国の女性を大特集!
文:中国エトセトラ編集部5月28日(金)発売に発売される中華歴史ドラマ列伝シリーズ最新作「北魏馮太后」。本作は現在発売中の「クィーンズ -長安、後宮の乱-」同様、古代中国の朝廷を舞台に、一人の女性が壮絶な権力争いに巻き込まれていくさまをダイナミックなタッチで描いた歴史ドラマです。そこで今回は「北魏馮太后」の主人公・馮太后と共に、各時代の権力争いに巻き込まれた女性たちも、有名エピソードを交えてご紹介していきたいと思います。
馮太后(ふうたいごう) 442~490
ドラマの主人公である馮氏(後の馮太后)は、五胡十六国時代の一国・北燕の王族として生まれますが、幼い頃に北魏の侵攻を受け、祖国が滅んでしまいます。まだ幼かった馮氏は、北魏の皇帝・太武帝の后である昭儀(馮氏の遠縁に当たる)の援助を受け、後宮入りを果たします。その美貌と知性でメキメキと頭角を現した彼女は、やがて太武帝の孫である第5代皇帝・文成帝の后に引き立てられるのでした。
文成帝は、税の軽減や開墾殖産の奨励といった善政に務め、馮太后もこれを良くサポートしました。ところが突如、25歳の若さで文成帝が急逝してしまいます。馮太后は悲しみのあまり、火中に身を投げて自殺を図ったそうで(幸い一命は取り留めましたが)、このエピソードからも2人の愛情の深さをうかがい知ることが出来ます。
悲しみを乗り越えた彼女は、続く第6代皇帝・献文帝の補佐役を務めることとなります。しかし、実の子でない献文帝とは次第に意見が食い違い始め、ついには献文帝の長子・孝文帝を擁することで、強引に献文帝を退位に追い込んでしまいます。とはいえ、孝文帝はこの時まだ5歳。政務のいっさいは馮太后が取り仕切ることとなり、名実共に、彼女は北魏の最高権力者として君臨することになったのです。
また馮太后は、村落の統治方法をシステム化した「三長制」や、唐代まで用いられることになる土地制度「均田制」など、さまざまな改革を実行に移し、国力の強化にも大きく貢献しました。彼女が政治を行なった期間は、北魏の全盛期であると言われています。
驪姫(りき) ??~紀元前651
馮太后とは打って変わり、権力をほしいままにした傾国の美女も、古代中国には何人もいました。晋の国に内乱を起こした驪姫も、そのうちの一人と言えるでしょう。驪姫は、春秋時代の強国・晋に攻め滅ぼされた驪戎という異民族の生まれで、妹の少姫と共に、晋の君主・献公に迎え入れられます。その美貌を駆使し、他の后たちを押しのけ正室の地位を手に入れた彼女は、次第に権力に固執するようになっていきます。また、自らの子・奚斉を晋の跡継ぎにするべく、他の太子たちを次々と廃嫡に追い込んでいきます。こうして邪魔者を宮廷から追い出し、ついに彼女は権力の全てを手に入れることに成功します。ですが、その栄光もここまででした。献公の没後、あっという間に反対勢力に政権を奪われてしまい、最後は井戸に身を投げて、自ら命を絶つこととなったのです。
樊姫(はんき) 生没年不詳
晋と同じく、春秋自時代に栄えた楚の国。その最盛期を築き、春秋五覇の一人に数えられる荘王の正室が樊姫です。若い頃の荘王は勤勉な青年でしたが、君主の座に就くや態度を豹変させ、毎晩宴会を開くわ、美女を侍らせ淫蕩にふけるわと、自堕落な生活を送るようになります。さらに「今後一切の諫言をしてはならない。これに反する者は処刑する」という、とんでもない布令まで出したため、誰もが処罰を恐れ、見てみぬフリをするようになりました。そんな中、ただひとり樊姫だけが頑としてこれを諌めたと言います。しかし蓋を開けてみると、すべては荘王の計算のうちでした。遊び呆けるフリをしながら、まじめに政務に励む者と私腹を肥やすだけの無能な者を調べ上げていたのです。これによって政治体制が引き締められ、楚はより強大な国家へと成長していきます。処罰を恐れず堂々と諫言を呈した樊姫は、荘王からより一層の信頼と寵愛を得たと言われています。
班倢妤(はんしょうよ) 生没年不詳
時は下って前漢時代末期。11代皇帝・成帝の寵愛を受けた班倢妤も、現在に名を残す賢女の一人と言えるでしょう。成帝との間に男子を設け、一時は確固たる地位を築いた彼女。しかし、趙飛燕と趙合徳という姉妹が後宮入りして以来、事態は変わっていきます。女好きで有名な成帝は、美しい趙飛燕にすっかり骨抜きにされ、臣下の反対も聞かず彼女を皇后に据えてしまったのです。そんなある日、成帝が外出することとなり、班倢妤は車に同席するよう誘われます。しかし彼女は「古来より、暗愚な王は車で隣に妾を侍らせ、名君は臣を供させると言います。私が同席しては陛下の名を汚してしまい、民の心も離れてしまいます」と答え、成帝も大変感銘を受けたそうです。ですが後宮では、権力を手にした趙姉妹が幅を効かせていて、目立つ行為は自分の首を絞めることになります。身の危険を感じた彼女は、成帝への想いを綴った「怨歌行」という詩を残し、潔く朝廷を後にしました。ちなみに「怨歌行」は、漢詩の名作として現代でも広く知られています。
時の皇帝を支えた賢女から、国を混乱に陥れた悪女まで、中国の歴史は掘り下げれば掘り下げるほど、おもしろい人物が出てきます。中華歴史ドラマ列伝シリーズには、上に記した2作品以外にも魅力的な女性が登場する作品が多数あります。GWを利用して、これらのドラマ作品を一気観してみるのもおもしろいかもしれませんね。