第50回:「論語」はこんなに面白かった! 秋は孔子の世界に親しもう

文:中国エトセトラ編集部

『カラー版 イチから知りたい!論語の本』(監修:佐久協)

『ビジネスマンに贈る 生きる「論語」』(著:佐々木常夫)

『全訳 論語』(著:山田史生)

札幌大学孔子学院の講座『「論語」を読む』(講師:高瀬奈津子)の様子

中国ドラマ『孔子』 (c) Beijing Nesound International Media Corp.Ltd

 「論語」とは、孔子が弟子たちに話した簡潔な言葉の言行録。とっつきにくいお勉強と思われがちだが、その教えは、孔子の生きた春秋戦国時代における画期的なニューウェーブだったと言われている。
 ここでは、この秋発売された論語に関する書籍ほか講座やドラマに注目し、その内容から、論語の魅力にせまっていこう。

「論語」で自分を見つめ直そう

 論語になじみがなく初めから習いたい方におすすめなのが、今月発売された単行本『カラー版 イチから知りたい!論語の本』。絵や図解で学べる参考書風のレイアウトで、わかりやすさはピカイチ。章のテーマは、人生観、人付き合い、家族、政治、仕事、学問と、どんな人でも自分を見つめ直せる多岐にわたる内容で、論語の教えの幅広さを実感できる。「老いや人生を考える」「悪口を言わない」など、ドキリとさせられるメッセージは、今この場で役立つことばかりだ。

『カラー版 イチから知りたい!論語の本』
監修:佐久協/税込1,296円/西東社より発売中

ビジネスマンは「論語」で武装せよ!

『ビジネスマンに贈る 生きる「論語」』は、論語に学ぶビジネスの極意を説く単行本だ。著者は、ワークライフバランス、タイムマネジメントなどに関する著書を持つ佐々木常夫氏。論語の「君子は――」に象徴される"リーダー論"に着目し、リーダーの要諦は「思いやり」と「言行一致」だと解釈。また、論語を総合的人間学の書物と呼び、読むことで、"人の生き方"を根本から問い直し、自分の生きる道をつかむべきだと訴える。論語は、ビジネスの場面でも、知的行動戦略のバイブルとして活用できるのだ。

『ビジネスマンに贈る 生きる「論語」』
著:佐々木常夫/税別1,300円/文藝春秋より発売中

クスっと笑えて心にしみる、新訳のおもしろ論語

 次は、今月発売された書籍『全訳 論語』に注目。全訳、というと小難く考えてしまうが、こちらはかなり親しみやすくスラスラ読めるのが特徴。著者は等身大の解説で定評のある山田史生氏。ユーモアあふれる文章で、目からウロコの新しい全訳論語となっている。そのおもしろさには、著者の解説力はもちろん、論語の思想の奥深さと、時代を越えた普遍性を実感せずにはいられない。自分を高めるため、などと肩肘張らなくとも、お気楽に楽しんでためになる。論語は、そんな風にも読めるのだ。

『全訳 論語』
著:山田史生/税別1,800円/東京堂出版より発売中

講座やドラマで論語を極めよう

 講師から学びたい人向けには、全国各地で論語関連の講座が開催されている。札幌大学孔子学院の講座『「論語」を読む』は、テーマごとに孔子の考えを学べるほか、現代中国の人々に強い影響を持つ南宋の朱熹による「論語集注」(「四書集注」中)も読んでいく充実した内容だ。
 人柄と教養を持ちながら、乱世の中ほとんど出世できない人生を送った孔子は、それゆえに、人間や社会を捉える鋭い洞察力を得たと言われている。そんな彼の波乱の生涯を壮大なスケールでドラマ化した『孔子』『恕の人 孔子』などの作品をチェックすれば、等身大の孔子の姿を観ながら、登場する格言・名言で論語の世界に触れることができるだろう。

札幌大学孔子学院の講座『「論語」を読む』
10月23日から15年2月まで隔週木曜日で開講。講師:高瀬奈津子
http://www.sapporo-koshi.jp/guide/culture.html

中国ドラマ『孔子』はWOWOWプライムで放送中。
現在、中盤まで放送済み、11月29日まで週2回で放送予定
http://www.wowow.co.jp/drama/koushi/

中華歴史ドラマ『恕の人 孔子』はエスピーオーより発売・レンタル中。
http://www.jyo-koushi.com/

 論語の代表的な教えである"温故知新"に習い、2500年前からのメッセージを受信しよう!


中華英雄4コマ列伝!!! 第39回:秦檜(しんかい)

文:中国エトセトラ編集部

秦檜(1090‐1155年)

 南宋の宰相。金との和睦のために、救国の将軍として庶民にも絶大な人気を誇った岳飛に無実の罪を着せ、毒殺したことはあまりにも有名。1127年に金が宋を滅ぼすと、秦檜は金が傀儡政権を建てるのに反対したため、他の臣下とともに北へ拉致された。しかし、その後、南宋を金との和睦に導けという金の密命をおびて帰国する。1141年に、岳飛をはじめとする多くの臣下を朝廷から追放、あるいは謀殺した。1142年に、秦檜が主導した紹興の和議は、宋の領土を金に割譲し、金への朝貢を義務付た、中国史上例をみない屈辱的なものだった。

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 西湖のほとりにある岳飛の廟、岳王廟には、上半身を裸にむかれ、鎖でつながれた秦檜夫妻の銅像がある。かつては、ここを訪れた観光客が、この銅像に唾を吐きかけるのが通例だった。しかし、最近では秦檜への評価の変化もあって、唾を吐くことは中国当局も禁止している。

イラスト/河伯りょう

中華英雄4コマ列伝!!! 第38回:高長恭(こうちょうきょう)

文:中国エトセトラ編集部

高長恭 (541-573年)

 南北朝時代の武将。北斉の皇帝高澄の四子で、長恭は字。諸侯王としての「蘭陵王」という呼び名で知られる。勇猛な将軍であり、北周との戦いで戦 功をあげた。なかでも、564年、北周が洛陽(金墉城)を包囲した際に、段韶らとともに救援にむかった際の逸話はよく知られている。この時、高長 恭率いる北斉軍は敵を突破して城門にたどりついたが、激しい包囲戦が続いたためか、城内の兵は容易に城門を開こうとしなかった。そこで、高長恭は 兜をはずして顔を見せ、味方であることを知らせたという。高長恭は『北斉書』に「音容兼備」と記されるほど、容貌が優れていた。

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この記述は唐代になると、「蘭陵王は兵の士気が下がるのを恐れ、仮面をつけて美貌を隠していた」という逸話へと変化し、日本にも伝わって、雅楽 「蘭陵王」の題材となった。やがて5代皇帝高緯は、高長恭の名声を疎ましく思うようになり、毒を与えて自殺させた。高長恭はこのとき32才の若さ であった。

イラスト/河伯りょう

※高長恭が登場する中華歴史ドラマはこちら!
『蘭陵王』<オフィシャルサイト>

中華英雄4コマ列伝!!! 第37回:楊業(ようぎょう)

文:中国エトセトラ編集部

楊業(生年不詳~986年)

 宋王朝が建国される以前、中国には五代十国と呼ばれる諸王朝が乱立していた。それらの王朝のなかで最後まで宋に抵抗したのが北漢だ。楊業は、も ともとこの北漢の武将として、北は異民族の遼を防ぎ、宋の討伐軍とも戦ってめざましい活躍をした。君主の劉継言が宋の太宗に降伏したあとも抵抗を 続け、主君の説得でやっと宋に降伏したという。

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 遼が宋に侵攻すると、宋の太宗は北伐を決定し、楊業は潘美らとともに出陣する。もともと北漢から投降した楊業は、太宗や宋の臣下らに忠誠心を示 さなければならず、絶望的な状況の中で遼の主力軍と激突した。この戦いで、楊業は息子の楊延玉を失い、自らは捕虜となったが宋への忠義をつらぬ き、食を断って絶命する。『楊家将演義』は、この楊業と息子達の忠義に満ちた活躍を描くフィクションだ。

第49回:英雄以外も活躍! 『楊家将』『水滸伝』から見える北宋時代

文:中国エトセトラ編集部

”楊無敵”と称される楊業。北宋に貢献してきた名将も年には勝てず、息子たちに未来を託す(映画『楊家将~』より)。

映画『楊家将~』では長男・楊延平をはじめ楊業の7人の息子が、父の窮地を救うため、獅子奮迅の活躍を見せる。

『水滸伝』では魯智深らと二竜山の統領になる楊志。『楊家将~』とセットで観ると歴史的視点が広がるだろう。

芸術を見る目に秀でた徽宗も、政治は奸臣に翻弄され、人を見る目は持ちえなかったしようだ(『水滸伝』より)。

 昨年夏から日本で順次発売されていた中国のTVドラマ『水滸伝』DVDが、今月初旬発売分でついにリリースを完結。14日からは、豪華華流スターたちが出演する映画『楊家将〜烈士七兄弟の伝説〜』(以下『楊家将』)が公開予定。圧巻のスケールで描くスペクタクル大作であるこの2作品の舞台は、どちらも宋(北宋)の時代。ここでは、その物語や登場人物を史実と照らし合わせ、北宋がどんな時代だったのかにせまります。

お酒がからんだ宋の建国

 唐滅亡後に群雄割拠した五代十国時代を経て、それらを統一するべく960年に建国されたのが宋です。その経緯では、皇帝が、血縁者でない有徳者に自分の地位を譲る"禅譲"が行われました。統一目前で皇帝が病死、7歳の遺児・柴宋訓が後を継いだときです。幼帝に不安を抱いた軍人たちが、酔いつぶれていた近衛軍長官・趙匡胤に黄袍(皇帝用の黄色い衣)を着せて強引に皇帝に擁立(!!)。これが禅譲となり、趙匡胤は初代皇帝・太祖となりました。
 中国でしばしば登場する禅譲では、後の仕返しを恐れて元皇帝を殺すことが多いですが、太祖は、柴氏一族の保護を子々孫々に渡って厳守させる遺言を残します。その柴氏末裔として『水滸伝』に登場するのが柴進。彼の広大な邸宅が、皇帝からの丹書鉄券(お墨付き)により、治外法権を認められていたのは劇中でも登場するとおり。柴進が田舎でお尋ね者や無頼漢を養いながら悠々自適に暮らせていたのは、太祖の深酒と平和的な禅譲のおかげだと言えるかもしれません。

楊家将の末裔が梁山泊に!?

 北宋初期の忠臣として登場する『楊家将』の楊業は、実は、宋の敵国だった五代十国・北漢の出身。猛将だった彼は、宋が北漢を攻めたときに太祖らをさんざん苦戦させた後降伏。そのため、後に宋のために活躍するにもかかわらず、味方にも恨みを持たれ、常に寝返りを疑われている状態でした。明らかに不利な戦線の下、あえて出兵し全軍壊滅、息子たちも次々散っていく悲劇となったのは、そんな軋轢のため。
 それでも、忠義のため命を投げ出し戦った楊業と七兄弟の英雄伝説は「楊家将演義」として、中国全土で敬愛され、語り継がれています。
 楊家の子孫としては、七兄弟の生き残り・楊延昭の息子が北宋中期の名将として知られているほか、実は『水滸伝』の楊志もそのひとり。彼が"エリート"と呼ばれ、なかなか山賊に下りきれなかったのは、名門・楊家出身だったからなんですね。

宋×遼のバトル

 宋は、軍事的に弱体で、『楊家将』の適役として登場する北方の国・遼からの攻撃に長年苦しめられます。遼は、現在の内モンゴルを中心に、遊牧系民の契丹族が構えた王朝。辮髪や耳飾りなど、独特の文化風俗を持つ契丹族ですが、今回の映画での遼軍は、騎馬民族の強さと荒々しさを表すかのようなドクロマーク付きのパンクな衣装でヒールを演じています。

商売なんでもOK! でにぎわう都市

 その後、3代皇帝の時代に遼と和平を結び、平和が確保されると、北宋の商工業は発達し、経済が大発展。首都の開封(河南省)は空前の繁栄を迎え、世界最大級の都市となります。
 唐代にあった商いの登録や区画、門限などの厳しい決まりが、宋代はなんと全部フリーに! 『水滸伝』でおなじみの、にぎやかな街の風景はその賜物。通りには屋台が立ち並び大道芸や講談などが行われ、飲食店では多くの人が昼夜酒や茶を飲んでいました。燕青が通じていたという歌舞曲や演劇などの庶民文化も花開き、皇帝の徽宗が李師師に会う妓女付き高級料亭などの娯楽も栄えていました。

北宋→南宋へ。徽宗の転落人生

『水滸伝』の時代を治めた第8代皇帝・徽宗は、芸術の才能に秀でており、絵画などで功績を残したアート系皇帝でした。しかし、政治手腕のほうはまるきりだめで、『水滸伝』の悪役として登場する蔡京や童貫らの奸臣に朝廷を牛耳られてしまいます。徽宗の芸術活動資金のため国民に重税が課され、その悪政により方臘の乱などの民衆反乱が続発、国力が弱まります。後年、満州地方で台頭した新興国・金に攻められ、首都・開封は陥落。徽宗は皇族、官僚と共に金に連行され、悲惨な虜囚生活の中死亡、異郷の地に骨を埋めることに。しかも、皇后以下王室の皇女全員は、金の皇帝・皇族の妾、もしくは娼婦にさせられたといいます。その後、難を逃れた徽宗の九男が首都を江南の臨安(現在の杭州)に定め、華北部を失った南宋の時代が始まることになるのです。

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(c) 2012 水滸伝

映画『楊家将』公式サイト http://www.u-picc.com/yokasho/
ドラマ『水滸伝』公式サイト http://suikoden-jp.com/

中華英雄4コマ列伝!!! 第36回:宋江(そうこう)

文:中国エトセトラ編集部

宋江 生没年不詳

『水滸伝』では百八星の頂点に立ち、好漢たちをたばねる及時雨の宋江。その名は北宋の正史『宋史』にも登場する。史実では、宋江は36人の仲間を率いて、黄河の北岸を荒らし回った。その勢いは山東半島にまで及んだが、最後は官軍に破れたという。

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この史実を元にして、36人の仲間は108人となり、『水滸伝』の物語が出来上がっていった。しかし、仲間を集めるためとはいえ、朱仝を迎え入れる際に、子供を殺す展開になるなど、『水滸伝』で宋江のやっていることは、なかなかびっくりさせられるのだ。

イラスト/河伯りょう