第14回 斉の桓公から越の勾践まで 激動の春秋時代に生まれた故事成語を大紹介! 文:中国エトセトラ編集部

7月3日(金)よりリリースが開始する「復讐の春秋 ―臥薪嘗胆―」は、激動の春秋時代を舞台に、ライバル国同士の争いや、主従間の腹の探り合いなど、権謀術数の限りを尽くしてぶつかり合う男たちの姿を描いた壮大な歴史ドラマ。ちなみにこの時代は、国内に動乱の嵐が吹き荒んだ時期であり、多くの英雄が乱立した時代でもあります。そんなドラマチックな時代を象徴するように、たくさんの故事成語が生み出されたのも春秋時代の大きな特徴の一つ。そこで今回は、「復讐の春秋〜」の登場人物が深く関わったモノを中心に、この頃に作られた故事成語の数々をご紹介していきたいと思います。

紅巾軍

BC770年〜BC403年。300年近く続いた周王朝の衰退に併せて、各地の諸侯がこぞって台頭、次代の覇権をめぐり争った時代を指します。その中で、まず最初に名乗りを上げたのが、“太公望”の呼び名で知られる呂尚(りょしょう)を始祖とする、斉の国の桓公(かんこう)。宰相・管仲(かんちゅう)の後押しもあり、一時は諸侯の盟主の座に就くほど勢力を強めるものの、彼の死後、斉は急速に衰退し覇権争いから脱落してしまいます。その後も中原では、いくつもの国が台頭しては消えていく群雄割拠の時代が続きます。そんな中、長江の流域では呉・越という2大国家が台頭し、熾烈な争いを繰り返すようになります。「復讐の春秋〜」の物語は、この激動の時代の真っ只中で展開していくことになるのです。

紅巾軍

越王・勾践(こうせん)により、呉王・闔閭(こうりょ)が殺されてしまった時のこと。子の夫差(ふさ)は復讐を誓い、毎晩薪の上で寝て恨みを忘れないようにしました。数年後、富国強兵に励んだ呉は越に攻め込み、見事大勝利をおさめます。そして、勾践は呉の捕虜となってしまいますが、その屈辱を忘れないよう、毎日、苦い肝を嘗めるようにしました。やがて解放された勾践は、恨みを忘れることなく国力の強化に着手しはじめ、夫差が油断した隙に一気に攻め込み、これを打ち滅ぼしてしまうのでした。この時、夫差と勾践が取った行動を合わせて“臥薪嘗胆”と呼び、「目的を成し遂げるために苦心し、努力を重ねること」を意味する故事成語として知られるようになりました。ちなみに、2人の人物が関わった故事成語だと記されているのは、14世紀に編纂された「十八史略」からで、それ以前の歴史書には、勾践のみのエピソードとして記録されています。「復讐の春秋〜」の物語は、後者を参考に描かれています。“臥薪嘗胆”が生まれるまでの具体的な流れは、是非、本編でお楽しみください。

紅巾軍

呉越間の抗争に終止符を打ち、勾践の覇業に大きく貢献した政治家・范蠡(はんれい)。ですが、越が絶頂期を迎えると程なくして国を去ってしまいます。理由を尋ねる同僚の文種(ぶんしょう)に対し、范蠡は「飛鳥尽きて良弓蔵され、狡兎死して走狗烹らる(飛ぶ鳥がいなくなれば良い弓はしまわれ、狡賢い兎が死ねば猟犬は煮て食われてしまう)」という手紙を送ったそうです。この文面の後半部分が広く知られるようになり、やがて「利用価値のある間はこき使われるが、無用となると捨てられてしまうこと」を表す故事成語となりました。この手紙を送った後、范蠡は斉の国に渡って商人として成功をおさめたそうです。

紅巾軍

この時代、諸侯が一堂に会して議論を交わしたり同盟を結んだりする際、牛の左耳を切り取って順番に血を啜りあうというしきたりがあったそうです。正式な作法としては、まず最も位の低い者が牛の耳を切り落として、一同の盟主がその血を啜る。続いて、各諸侯が順に血を啜り、盟約を誓い合うといったもので、これが転じて“牛耳る”という故事成語になり、「団体や集団内でリーダーシップをとったり、主導権を握る」といった意味を有するようになりました。ちなみに呉王・夫差は、自分の力を誇示するため大軍勢を率いて会議に出席しましたが、その隙に本国を越に攻め込まれてしまい、国家衰退のきっかけを作ってしまいました。

紅巾軍

呉王・闔閭に仕えた将軍・孫武(そんぶ)が残した兵法書「孫子」に記された故事成語。呉と越は、長年に渡って抗争を続ける敵対国であり、それぞれの国に住む平民同士もまた、憎み合う間柄でした。ですが孫武は、そんな仲の悪い者同士でも、同じ船に乗り合わせているときに嵐に遭遇したなら、きっと協力し合ってその危機から脱出するはずだと説いたそうです。そこから「仲の悪い者同士が、同じ目的の為に一時的に協力し合う」という意味に転じ、この故事成語が作り出されました。時は降り、戦国時代中期に活躍した斉の国の軍人・孫(そんぴん)は、孫武の子孫と言われていて、「孫 兵法」と呼ばれる書物も残しています。


こうして見てみると、どの故事成語も人と人との交わりや、国家間の大規模な戦争があったからこそ、生み出されたモノであることが分かります。激動の時代に必死に生きた人々が残したモノだからこそ、現代でも使える、胸を打つような言葉に成り得たのかもしれませんね。「復讐の春秋 ―臥薪嘗胆―」では、これまで書籍でしか知ることの出来なかった“臥薪嘗胆”という故事成語の、完成に至るまでの経緯を映像で楽しむことが出来ます。いくつものドラマが重なり合って、故事成語が出来上がる過程を追ってみるのも、中華歴史ドラマの一つの楽しみ方と言えるでしょう。


【 前のページに戻る 】

復讐の春秋 ―臥薪嘗胆―
1:「復讐の春秋 ―臥薪嘗胆―」

呉王・夫差
2:呉王・夫差。領土拡大の野心に燃える若き君主 

越王・勾践
3:越王・勾践。“臥薪嘗胆”を実践し、復讐の時をうかがう

夫差の父、闔閭
4:夫差の父、闔閭。強大な勢力を誇るも、慢心から身を滅ぼすハメに

勾践を支え続けた政治家・范蠡
5:勾践を支え続けた政治家・范蠡。数々の奇策を用いて呉を翻弄する

戦に敗れた勾践は、捕虜として呉に連行されることに
6:戦に敗れた勾践は、捕虜として呉に連行されることに

壮大な合戦シーンも、本作の見どころの一つ
7:壮大な合戦シーンも、本作の見どころの一つ


中国文化エトセトラ